煉獄とアカザが死闘の末、アカザが逃げるところで、炭治郎が感情の発露として逃げるな卑怯物と叫ぶシーンが僕は好きだ。
炭治郎はその時点で動けないくらい傷ついている。
そして圧倒的な力を持ったアカザに対して刀を投げ叫ぶのだ。
煉獄が全力を出して真剣に戦ったのにずるくアカザが逃げるのが許せない馬鹿にするなと気持ちが高まっての台詞。
そして堰を切ったかのように言葉が出てきて、感情が高まって泣いちゃう炭治郎。
こういうの話が好きなのかもしれない。
自分も普段怒って叫ぶなんてことはないけど、大事な人が悪く言われて、黙ってられなくなって叫んだら、はっ、夢だったで目が覚めたってことが何度かあるもん。
そんな名シーンではあるが、よく読んでみると、そこで敗れる煉獄さんってお話に登場して間もないのだ。
キャラクターとしてエピソードが重なって深掘りされてるとは言いがたい。なのに感動させられる。
最速で読者の感情が動かすのが鬼滅の刃のすごさである。
それを担っているのが走馬灯シーンである。
敵でも味方でも死の間際に走馬灯のシーンが挿入される。そこの短いシーンで心が持っていかれる。
そんなお話の繋ぎかたが鬼滅の刃の特徴だと思う。
それは初期の絵のクオリティの低さもあいまって、ただ下手にも見えるような、お話のジャンピング、雑にも見えるシーンとシーンの繋ぎかた。
例えば今回取り上げた炭治郎が叫ぶシーンでも、アカザが逃げるが、気がつくとアカザはもういないっていうように描かれている。
煉獄さんも気がついたら大ケガしてたりという、もっと丁寧に描けばいくらでも書けるように見えるところを、意図的かどうかはわからないが、カットしている。
それによって最短距離で感情を動かしてくるのだ。