僕たちの旅は無駄では無かった
欅坂46の改名に伴って、欅坂46を冠したラストシングルになる「誰がその鐘を鳴らすのか?」をMステで欅坂が披露していた。
誰がその鐘を鳴らすのか?はラストシングルとして、欅坂のゴールが表現されている曲だ。
僕たちの旅は無駄では無かったと感じられるものになっており、素晴らしい。
反逆という言葉とともにあった欅坂46
欅坂を振り返る。
端的に言えば、欅坂46は魔裟斗よろしく、反逆のカリスマであった。
反逆とは、権威・権力などにさからうこと。(デジタル大辞泉)
僕が考える欅っぽい曲として「サイレントマジョリティー」「不協和音」「ガラスを割れ!」「黒い羊」がある。
君は君らしく生きていく自由があるんだ 大人たちに支配されるな 「サイレントマジョリティー」
僕はyesと言わない / みんな揃って同じ意見だけではおかしいだろう意志を貫け 「不協和音」
目の前のガラスを割れ / お前はもっと自由でいい騒げ! 「ガラスを割れ!」
世の中に大ブームを巻き起こしたこれらの曲は、同じようなフレーズが一貫して使われ、反逆という言葉にぴったりのものであった。
そして「黒い羊」だが、曲の最後の歌詞は、それなら僕はいつだって それでも僕はいつだって ここで悪目立ちしてよう と反逆で終わる。
しかし、全体のトーンとしては 黒い羊 そうだ僕だけがいなくなればいいんだ と一歩引いた視点が入っており反逆一辺倒ではなくなっている。
平手友梨奈
その後、欅坂のずっとセンターであった、てちこと平手友梨奈がこの曲を最後のシングル曲として、脱退した。
僕はてちが嫌いだった。
僕はブログに書くぐらいテレビのアイドル番組が好きなので、平手友梨奈が欅って書けないに出なくなって、おそらく出ないと決めたのだろうが、ああ、てちは調子乗ってるなと思ってしまった。
反逆のカリスマぽくやってるけど、それはお膳立てされたものだからなと悪態もついてしまう。
平手がいなくなって、欅坂の改名が決まる。
誰がその鐘を鳴らすのか?のМステでのパフォーマンス
権威に対する欅坂が反逆として登場したのが、支持者が増え、欅坂が、平手友梨奈が権威になってしまった。
そんな中で欅坂の答えとしてだされたのが、欅坂のラストシングル「誰がその鐘を鳴らすのか?」である。
だけど問題は誰がその鐘を鳴らすのか? / その綱を奪い合ってたら今と何も変わらないじゃないかそばの誰が誰であっても鳴らせばいいんだ 信じるものが たとえ違ってても そう平等に 「誰がその鐘を鳴らすのか?」
と欅の歴史を含んだうえで結論だった。
この間のМステでこの曲のダンスを初めて見た。
そのパフォーマンスにも平等と自由が感じられた。
素晴らしいと思った。
みんながみんな同じ動きじゃなく、それでいてかっこいいパフォーマンスだった。
みんな違ってみんないいというのが曲を通してダンスを通して伝わってきた。
ただこのブログを書いていて思ったことがある。
僕はてちが好きではないが、てちがいない状態で欅の結論となるこの曲は、ちょっとてちがかわいそうだなと思うのだ。
間違いなく欅坂の立役者であるてちがいない状態で大団円はかわいそうだ。
「誰がその鐘を鳴らすのか?」がてちの卒業ソングであれば、最高だったなと思った。