面白いゲームと血濡れた手
フォールアウト4を最近初めて遊んだ。何年も前のゲームである。
面白かった。ゆうに100時間はプレイした。
洋ゲーの×ボタンが決定、Oボタンがキャンセルっていうなれないボタン操作の苦難も乗り越えられるほど面白かった。
無人島で新たな街をクラフトして、ふとこのゲームを振り返り気づく。
自分の手に手錠がかけられることに、より文学的に表現するならば、自分の手が血でぬれていることに。
こんなはずでは無かったのだ。
衝撃のファーザーによる目的の消失
このゲームをネタバレ全開で、レビューする。
僕が一番衝撃を受けたのが、ファーザーと出会うシーンだ。
まず、このゲームの冒頭を簡単に説明すると、主人公は核の爆発を避けるために、妻と子の三人で冷凍保存される。
冷凍保存から目ざめると、妻が殺され、子がさらわれるところを目撃する。
そこからゲームがはじまる。
200年経った世界で、息子のショーンを探し、事件に巻き込まれたり、ミニッツメンという組織でヒーローぽいことをしながら話が進んでいく。
そしてショーンをさらったとする謎のインスティチュートという組織に侵入する。
そこで出会うのがファーザーという60歳を超えた初老の男性。彼はインスティチュートのトップである。
そして彼が自分の息子ショーンであると告げられる。
冷凍保存中に見たさらわれたシーンは目ざめたときよりももっと昔であり、そのシーンから何年も経っていたのだ。
自分でも気づかない間に、このゲームの目的としていた息子を助けるということ。その目的自体がなくなるのだ。
なんだか、ショーンはトップで幸せそうにしている。
彼は保護すべき小さい子ではなく、立派な大人になっていた。むしろ自分より年上だ。
この喪失感。心が空白になった感じは、衝撃的だ。
ちょっと気持ち悪くなるくらい。
ゲームでしか描けないプレイヤーの自由意思も盛り込んだ表現
映画や漫画、ドラマ、アニメ、小説ではこの感覚は味わえない。
このゲームはオープンワールドのゲームなので、好き勝手やっていいところで、いろいろ自由に動きまわってきたわけだ。
そこでしばしば、君は何でここに来たのかいと質問される。
人と会話をすると、4つの選択肢のなかから1つを選らぶシステムなのだが
まあ、べつに嘘をつく意味も無いなと思って、息子を探してるという選択肢を選ぶ。
誰にどうしろと言われたわけじゃ無いのに、自分で目的を持って進んできて、自発的に息子を探してるんだって選択肢をとって、たどり着いた結果。そんなものは最初から無かったということをわかる。
つまり驚くべき事だが、プレイヤーの自由意志も盛り込まれているストーリーなのだ。
そこからなんやかんやで、今まで会ったいろんな組織と敵対しなければいけなくなる。
そこも自由に選択はできるのだが、そしてインスティチュートに肩入れしないっていう選択肢も全然あるのだが。
敵対すると殺さなければいけなくなるので、さすがにもうファーザーは殺せない。
ファーザーに言われるがままに、敵対組織のボスを殺める。
ここも殺したくなかったけど、イベントを進めるにはデスデモーナを殺すっていうミッションが出続け、殺さねば、進めない。
わーっと叫びながら、デスデモーナも殺す。
でストーリークリアする。
エンディングの後、街作りもこのゲームの楽しみの一つなので、街を作った。
満足いく街ができたので、もうやること全部やったな。
ああたっぷりこのゲームを楽しんだと思って、
振り返って感想を書いていると、まるで犯罪手記のようになってしまった。
こんなはずではなかった。