映画

地獄少女 白石晃士 納得がいかないつまらない映画だった

白石晃士ファンとしてTSUTAYAの新作コーナーに並んでいたのを見つけて喜び勇んで借りた地獄少女。

感想としてはここ数年で見た映画の中で一番くらいにつまらなかった。

白石晃士は主にホラー映画を撮っている監督である。いわゆるB級映画と呼ばれるようなものがフィルモグラフィーには並ぶ。

しかし僕としては大好きな監督だ。

一番の魅力は異世界のものの描きかたである。

幽霊だったり異世界の物って、霊感のない一般ピーポーとしては実際に目に触れたことはない。

白石監督はそれをハッキリと描く、そしてそれは変なものなのだが、本当にそういうものがいて実際見えたら、そうなのかもしれないという、変だからこそ逆にリアルに感じられる。

異世界を本当に覗き見してるのではないかと思わせてくれるのだ。

今回の地獄少女ではその魅力はほぼ発揮されない。

原作を意識したせいか、一番異世界を描けるはずの地獄少女が地獄に人をつれていくシーンでもおじさんとお姉さんが体を押さえて青年が刀で首を切るっていう創造性の欠片もないものになっている。

そもそも話がよく分からない。

最終的に敵になる男が、神の生け贄として女を捧げる作戦を企てているのが分かって主人公側の人が薬で頭とろけてやがんなと言うのだが、この映画に出てくる登場人物が全員理解に苦しむキャラクターでお前らも全員脳みそとろけてるぞと思う。

この地獄少女のメインのギミックが、恨みを持ったものが地獄少女に頼むことでその相手を地獄送りにする、そしてその代償として自分も死ぬと地獄に落ちてしまうというもの。

この設定自体が難しいというか、そんなことやるやついないと思うのだ。

人間は損失回避的志向が高いという。

どういうことかというと、ある実験で学校のクラスの半分にマグカップを与え、もらっていない方の半分にそのマグカップを念入りにみてもらってそれを売買するというものがあった。

結果マグの所有者がマグを手放すために要求する値段は、マグをもっていない人がマグを買うために支払ってもいいと考えている値段のほぼ二倍になる。

この実験は何千個ものマグを使って何十回も繰り返し行われても、結果はほとんど変わらなかったそうである。

つまり自分の物を失うのは同様の物を得るのより2倍重く感じられるということだ。

地獄少女でいえば、自分の人生を失ってまで、かけるとしたらその2倍のことが起きないとやらないはずだ。

でもこの設定ではトントンというか、むしろ恨んでるってことは何かされて恨んでるわけで相手が死んで自分も死んでじゃマイナスで割りに合わない。

普通でもそうなのに、この映画ではいい子役の主人公が地獄少女を使って助けるのがクレイジー暴力女なのである。

一般ピーポーの僕としては理解に苦しむ。

他にもこの映画の良くないこととして、やたら光で白く飛ばしていたり、意味不明に赤くしてみたり、オレンジにしてみたりと映像が何してるのって思うことが多い。