20年ぶりに京極夏彦の姑獲鳥の夏を読んだ。
昨日実生活で姑獲鳥の夏みたいなことが起きて、なおかつ自分の中でナイーブな事だったので、
物語から学ぼうかと思って、
kindleで姑獲鳥の夏を買って一気読みした。
姑獲鳥の夏はミステリー小説なのだが、この作品の一番のキーの部分、
そしてこの作品をエポックメイキングな作品とした部分が、奇妙珍妙なトリックである。
ここは完全ネタバレではあるのだが、
おそらく、この作品は、本好きな人とか読みたい人は読んでるし、
20年前の作品をこの文章を読んで読む気になるっていうなる人もいないと思うので、
気にせず書く。
密室で人が消失するという事件が起きた。
しかし実際にはそこでその人は死んでいて、
死体としてずっと転がってるのに気付かれなかったっていう、
突拍子もないトリックなのだ。
でもそういう事ってあるぜ、っていうか、世の中のとらえ方、というか。序盤にも古本屋で神主の京極堂の話でも人間の眼球は硝子玉だじゃない、情報の取捨選択があるのだと語られている。
ポップな話でいえば、無くしたと思ったものが、机の上にあったみたいな話とか、
めがねめがねと眼鏡かけながら探してるとか、
そんな感じのことは普通に皆さんも経験したことがあるだろう。
そして僕が20年ぶりに姑獲鳥の夏を読むきっかけとなった実際昨日起きたことっていうのが
会社の馬鹿な上司は本当に現実が見えていないんだと思ったという出来事。
衝立の向こうで暇を持て余して居眠りをしている社員がいるなかで、
人員を増やすんだと意気揚々と馬鹿上司が話していた。
全く周りが見えていない。
おそらくこの衝立を僕が、がばっと倒したところで、気づきもしないで同じ話をし続けるだろうなとも、確信をもって思ってしまった。
そう確信持って思える時点で、この人はそういう人だってことをとっくのとうに僕は気づいていたのに、
いちいちそういう事でイライラしてしまっている自分自身も
姑獲鳥の夏の関口君のように現実として明らかに見えているのに気づいていない人なんだ思った。
だいぶ怖く寒々しくなった。現実か空想か。
この世界が瓦解していくような感覚だ。