乃木坂工事中で乃木坂46がメンバーのものまねをする企画の第3弾をやっていた。
渡辺みり愛が「鈴木絢音を呼ぶときの伊藤純奈のものまね」をしていた。
ちあんちゃんちあんちゃんと謎の呼び名を連呼しながら、足をその場でだんだんと踏むと、絢音がやってきてそこにひざまずくというものまね。
鈴木絢音役は本人がやっていた。
鈴木絢音と設楽のやりとり
そのものまね後の鈴木絢音とMCのバナナマン設楽とのやりとりが気になった。
足だんだんで行くの? 行きます。
何で行くようになったの? 本能で。
最初はわかんないし行かなかったでしょ? いや最初から。
他の人のだんだんでは行かないの? リズムがやっぱり違うので。
足の音とかするとハッとなったりするの? はい。
ご主人様じゃないと思ったら行かないわけ? はい。
設楽が当たり前ですよねみたいに言うけどとつっこんでいたように、絢音ちゃんは始終ずっと、すんとしていた。
バナナマンはちゃんと笑いにしようとしてくれていた。日村さんも笑い声をいれていた。
でも、僕はそのやりとりに少しいたいたしい、さむざむしさを感じてしまった。
自意識の檻
絢音役として出ることが決まっていたのだろうから、この事について話すこと、つっこまれることは鈴木絢音自体も想定できたはずだ。
話の用意だってできただろう。
それでも、すんとするというボケになってしまった。
絢音ちゃんもおそらくボケでやってるつもりはあると思う。
自意識の檻の中で感情がうまく出せず、自分ってユーモアある人なんだよっていう叫びなんだろうけど檻の中でできるのはすんとするというボケしかなかったのだろう。
アジアンカンフージェネレーションにさよならロストジェネレイションという曲がある。
いつの間にか閉じ込められたのは言葉と心の檻 自意識に埋もれて僕たちは内側だけを愛でているようだ
神様気取りで深く暗い沼の「自分探し」より 窓を開けその外側は何処へだって続いている
自分もそういう絢音ちゃんのような内向性を持った人だから、そうじゃないかなあと思うのだ。
できない自分が目に入ってしまって、進めないということはあるだろう、でも少し技術を身に付けることで少し世界は変わると思う。
例えば欅坂の菅井さんなんかまじでそれだ。
そもそもまじめでユーモアもあるような人間じゃないと思うのだが、それでもまじめにバラエティも頑張ろうと決めてやっていて。最近は笑いの技術を身に付けている。
このあいだの澤部賞の企画のときも、ハライチの澤部をひたすらかっこいいとほめるっていうので笑いを取っていた。
気の利いたことやユーモアのあることを言うわけでもないし、変なタイミングで言ってつっこまれたりもしていたけど、ちゃんと番組に笑いが生まれていた。
アジアンカンフージェネレーションのさよならロストジェネレイション
何もないさ 嗚呼 何もないさ そうさそんなもんだ
いつかは全部なくなって それでもせめて君に会いに行こう
それでは足りない? 何が足りないって言うんだろう 言え