映画

フォードVSフェラーリ 演技とは作品があって成り立つという話

フォードVSフェラーリは自動車レース、ル・マンに挑む話だ。

ウィキペディアには「本作は批評家から高く評価されており、特にベールの演技は称賛を集めている。」と書かれている。

確かにこの映画でのクリスチャンベールの演技はすごい。

僕は普段、接客業をしているのだが、お客さんとしてめんどくさい人来たな、できるかぎり関わらないようにしようって思う人と出会うことがある。

クリスチャン・ベール演じるケン・マイルズはそういう気遣いのできないヤバめのキャラクターなのだが、本当にそういう人に見える。むしろそういう人にしか見えない。

そしてそのケン・マイルズが考え方を変えるというのが、この映画のクライマックスにもなっている。

クリスチャン・ベールの演技力というものは間違いなくあるだろう、ただ映画内のキャラクターが立つためには演技力だけでは足らない。

例えば脚本でこういうような性格の人はこういう行動をとるっていう一貫性がなければいけないと思う。

この映画でも、同じく主演を演じるマット・デイモンのキャラクターがル・マンのレース中にライバルのフェラーリのストップウォッチを盗んだり、車の部品をフェラーリのピットにこっそり置いて、ライバルチームを混乱させたりするのだが、そこまでのマット・デイモンがわりと真面目な調整役をやっているので、唐突に感じる。

実話ベースの映画らしいので、そういう事が実際にあったから物語にもいれたのかもしれないけれど、この映画のなかでは逆に納得いかないシーンになっている。

他には、レースカーにフォードの社長を乗せてびびらせて交渉するシーンがある。

フォードの社長はびびって泣くのだが、そんなことあるかなと思ってしまう。

これは想像だが、この映画でフォードの社長役の俳優さんはわりと大きめの演技をしている、びびって泣くみたいな脚本があるから、全体通して大きめの演技をしないとそのシーンだけ浮いてしまうという意図だったのではないだろうか。

キャラクターのリアリティーは演技と作品の両輪があって成り立つものなのだと思う。

フォードのリーっていう役の仕事ができるビジネスマンは一貫性もあり演技もよく、いい感じだった。

批判的な感じで書いてしまったが、重箱の隅をつつくような話をしてしまっただけで、フォードVSフェラーリは圧倒的に面白い。

長くなりそうなので、他の良かったところはざっと書いておく。

夜の車の開発の試験場の映像は、光が美しい。きれいなシーンがちゃんときれいなのはすごい。

フォードの社長がフェラーリの社長との交渉の結果を聞いて、ル・マンに参戦を決める流れもおもしろい。

レースシーンが結構な長さあるのだが、退屈せず見ていられる。