映画

となりのトトロの令和レビュー

金曜ロードショーでとなりのトトロがやっていた。


確かに、となりのトトロは傑作だなと思った。

しかし同時に自分には刺さらなかった。

ただそれは、考えてみれば、当然のことであることに気づく。

誰のために作られた映画か?

どこかで聞いたフレーズだが、人は自分がお客様かどうかに敏感だという。

要はお店側が想定しているお客さん像とお客さん自身が合っているか、お客さんが敏感に感じ取ってしまうということだ。


となりのトトロは子供のために作られている。

そしてもう一つとして想定されているお客様はその子供の親である。


そもそも、自分のようなひとりものの成人男性なんてお客さんでないのだ。

おそらく自分も、子供ができて、子供と一緒にトトロを見たら、すごく面白く感じるだろうなと思う。


なので、今回のレビューは、おじさんが思う109のここがおしゃれだみたいな

お前に聞いてないぞという内容になってしまうだろう。

でも書きたいので書こう。

平和な世界のお話

まず物語としては珍しいことだと思うが、となりのトトロに登場する人はみんないい人だ。

悪い人、敵はいない。

困難として出てくるのは、母がもしかしたら死ぬかも、めいが行方不明で死ぬかもということだ。


令和のM-1でかまいたちが、俺はとなりのトトロを人生で一度も見たことがないという変な自慢をするというネタがあった。

こんなふうにネタになるくらいトトロは、一般ピーポーに浸透しているわけだ。

なので、トトロのストーリーをしっかりとは覚えていなくても、我々は母が死んだり、めいが死んだりするような重い映画でないことは知っている。


つまりは唯一の困難として出てくるものも、もう令和の今、困難になっていないのだ。

大人が見るトトロのすごさは登場人物の人間描写。


そして令和に見てもフレッシュなトトロたちの描写だ。

人間描写の妙

人間描写でいうと、例えばめいちゃんがお父さんが座っている机に花をおいて、「お父さんお花屋さんね」って言ってすぐどっか行っちゃう感じ。

お母さんがもう少しで退院できそうだと聞いて「明日?明日」という感じは、子供の時間感覚を的確に表していると思う。


他にもたくさんある中、もう一つあげると、近所のばあちゃんが、めいちゃんつれて、さつきが授業を受けている学校のグラウンドにきてしまう。

ばあちゃん特有のやさしいんだけど、ルール無用感が出ていて、この辺の描写もうまいなと思う。

時代を感じさせないトトロたち

トトロたちの描写もすごい。

小トトロがめいちゃんに追っかけられているシーンで半透明になっている。

宮崎駿の作品には割と透けている人外のものが描かれるが、今見てもちょっと新しい感じを受ける。

他にもネコバスの登場シーンなんてネコバスやばい、かっこいいってなるし、新しいなフレッシュだなと思う。

トトロは、笑顔のようににっこりするシーンがあるが、その笑顔が、人とそれ以外の者の、一線がそこにあるような、理解し合えない感じがニュアンスとしてあってそこがすごいと思った。

子供ができたら、また見たい。というか結婚がしたい。